最上稲荷に初詣

岡山県での初詣と言えばなんと言っても「最上稲荷(さいじょういなり)」ですね。
最上稲荷の正式名称は「最上稲荷山妙教寺」という日蓮宗のお寺なのですが、その所在地が岡山市北区の高松地区であることから高松稲荷とも呼ばれている、日本三大稲荷のひとつです。
寛保元年(1741年)に建立された霊応殿本殿(旧本殿)は岡山市重要文化財に指定、本堂(根本大堂)など33件が国の登録有形文化財に登録されている歴史ある寺院で、初詣シーズンには岡山県下最大の参拝客で賑わいます。
あまりの人出の多さから、大晦日から三が日にかけては交通規制が行われ、車で出掛ける際には渋滞するのは当たり前という覚悟が必要ですよ。
この最上稲荷は敷地も非常に広く、仁王門・大客殿・根本大堂などのある“供養ゾーン”、本殿などのある“祈祷ゾーン”、旧本殿や七十七末社などのある“文化財ゾーン”の三段構えとなっています。

まずは下から順に“供養ゾーン”から。境内に入ると御水舎に長い行列ができていました。右手に見えているのが大客殿です。
手を洗い清めたら仁王門方面に向かい、上の段“祈祷ゾーン”に参りましょう。
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美作の国の猿神退治

舞台となっているのは当時美作国の中参(ちゅうさん)神社と呼ばれていた、現:津山市一宮にある中山神社で、人間に害を為す妖怪:猿神を扱った代表的なものなんだそうです。
この猿神伝説を簡単にご紹介しますと、
かつてこの地には巨大な猿神が居て毎年生け贄の娘を捧げていました。ある年、愛娘が生贄に選ばれた両親の悲しむ姿を見かねた、東の国から来たという犬使いの犬山と呼ばれる男が一計。
猿神に奉納する生贄となる娘を入れる長びつに娘の代わりに潜んで、猿神が長びつを開けようとした瞬間を狙って猟犬を使ってねじ伏せました。
過ちを詫び命乞いをする猿神に二度とこういう真似をしないと誓わせると猿神は山に逃げ帰りました。
それからは生贄を立てる必要はなくなり、犬山の男は生贄となるはずだった娘と結婚、猿神に祟られるようなことも無く幸せに暮らしましたというお話で、ポプラ社から絵本も出されています。
今年は『美作国1300年記念』ということで、この猿神伝説をベースにしたミュージカル「みまさか猿神退治」が企画され、美作地域在住の一般から出演者を公募。
今年3月に1300年記念事情のプレイベントとして初の上演がされ、8月には岡山市内でも再演されていますが、このお話の舞台でも上演しようと言うことで、先日、中山神社で再々上演が行われました。
岡山県の町並み保存地区
城下町・宿場町・門前町・寺内町・港町・農村・漁村などの伝統的建造物群およびこれと一体をなして歴史的風致を形成している環境を保存するために、文化財保護法に基づいて国(文部科学大臣)が選定したものを“伝統的建造物群保存地区”といいます。
また、国から“伝統的建造物群保存地区”に選定されておらずとも各市町村が町並みを維持し後世に伝える歴史的価値が高いとして保存地区に指定しているエリアも少なくありません。
これらの地区の事を一般的に町並み保存地区といい、このエリア内ではいくら自分の土地・建物であっても勝手に景観を損ねるような新築・改築などは出来ず、町並みにふさわしい違和感のないものにせねばなりませんが、そのための補助金が出ることも珍しいことではありません。

そのようなエリアは岡山県内にも少なくなく、八つのエリアが県から“町並み保存地区”に指定されており、三つエリアが重伝建地区に選定されています。
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また、国から“伝統的建造物群保存地区”に選定されておらずとも各市町村が町並みを維持し後世に伝える歴史的価値が高いとして保存地区に指定しているエリアも少なくありません。
これらの地区の事を一般的に町並み保存地区といい、このエリア内ではいくら自分の土地・建物であっても勝手に景観を損ねるような新築・改築などは出来ず、町並みにふさわしい違和感のないものにせねばなりませんが、そのための補助金が出ることも珍しいことではありません。

そのようなエリアは岡山県内にも少なくなく、八つのエリアが県から“町並み保存地区”に指定されており、三つエリアが重伝建地区に選定されています。
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津山城天守閣を復元

津山城は美作国の守護であった山名氏が嘉吉年間(1441年~1444年)、鶴山(現・津山市山下)に砦を築いたのがその始まりといわれています。
その後しばらく廃城となっていたのですが、慶長8年(1603年)に美作・津山に入封してきた森忠政が、その翌年から13年もの年月を掛けて完成させた大城郭が津山城です。
津山城の有る鶴山はそれほど高い山ではなく、こんもりとした丘と言った方が近いかもしれません。
津山城はこの鶴山全体を要塞化した平山城で、今なお残されている石垣は全国屈指の見事さで、明治6年の廃城令によって翌明治7年に天守などの建築物が取り壊された現在も往年の姿を想わせてくれます。
2006年には日本100名城に選定され、“ペーパークラフト 日本名城シリーズ”で1/300スケールの物が販売されています。Amazonなどのネット通販で購入可能ですので、興味のある方はどうぞ♪
さて、本題の再現された天守閣があるのはモチロン(?)かつて天守の有った天守台。早速、鶴山公園に行き天守台へ駆けのぼったところ、上の写真のような状況です(苦笑)。
津山警察の名前の入った「立ち入り禁止」の看板が置かれていて、復元された天守閣の元へ行くことができませんでした。
この復元天守閣には税金も投入されているそうで、もしもの為の対策ということなのでしょうが、間近で見られないのはちょっと残念でした。

仕方ないので、備中櫓横から天守台そばへと移動です。
あじさい寺 大聖寺

6月も終盤となり、美作市にある“あじさい寺”「大聖寺(だいしょうじ)」の紫陽花の花が見頃になるこの時期は、“あじさい花祭り”と“あじさい七夕祭り”(今年は6月16日~7月8日)が並行して開催されているということで訪ねてきました。
大聖寺の寺伝によりますと、天平10年(738年)に聖武天皇の勅命で行基が開山。五院・十八坊を誇り山岳仏教の聖地として“西の高野山”と称された隆盛の地だったのだそうですが、秀吉の播磨上月城攻めの兵火によってほとんどの塔堂が焼失してしまったそうです。
慶長9年(1604年)頃、津山藩初代藩主・森忠政は津山城築城に際して、城主祈願所として現在の本堂不動院・本坊・客殿などを再建したと伝わっています。
寺の敷地内には約1万株の紫陽花が栽培されていて「あじさい寺」と呼ばれているのですが、同時に冬場は南天の名所でもあることから「福寿難転(南天)寺」とも呼ばれているそうです。

駐車場に車を停めると、一人のオトウサンが近寄ってきて、駐車料金と入山料(祭りの期間中のみ必要)の説明をしてくれたんですが、それに加えて「お兄さんも撮影会に参加しに来たん?」とニコニコと訪ねてきます。
話によると、ちょうど本日(6月30日)は、紫陽花をバックにしたモデルさんの撮影会と、岡山大学生の方の
フルート演奏が行われているんだとか。
駐車場からお寺へと坂を登って行くとスグに茶屋があります。
ここで駐車料金+入山料(内拝券付)=1000円を支払うと、パンフと駐車料金の領収書と本堂で使用する内拝券に加えて短冊を渡されます。
この短冊は“あじさい七夕まつり”で飾っている笹に吊り下げるモノ。この茶屋から少し進んだところにある席で願い事を書いて吊るしてもらいます。