金太郎が眠る栗柄神社

日本人なら昔話で有名な「金太郎」を知らない人はいないでしょう。この金太郎さん、架空のキャラクターではなく実在した人物「坂田金時(さかたのきんとき)」で、幼名が金太郎だったということもまた有名ですね。
まぁ実在の人物とは言え昔話の中にある“熊と相撲をとった”とかのエピソードは、金太郎の豪傑さを表すために脚色されたものでしょうが、足柄山を通りがかった源頼光と出会って力量を買われて家来となり、京にのぼって“頼光四天王”のひとりとなったとか、都で悪さをしていた酒呑童子を懲らしめるために山伏に扮して眠り薬を飲ませて退治したとかのエピソードは実話に近いお話なのでしょうね。
そんな金太郎こと坂田金時は、賊退治のために九州の筑紫へと向かっている途中、作州路美作勝田壮=現:岡山県勝田郡勝央町で大雪にみまわれて足止めをされているさなか、重い熱病を患って亡くなったというエピソードはご存知でしょうか?

ちなみに“倶利加羅”は元はサンスクリット語で“龍”を意味する言葉。インドから中国に伝わった際にこの漢字があてはめられました。
“龍”の力強さから豪傑・豪勇の事を“倶利加羅”と呼ぶことがあったんでしょうね。
この栗柄神社、勝央町の丘陵のふもとにポツンと隠れるように建てられています。
サイズも小さくて神社というよりも祠に近い気がします。
勝央・栗柄神社で神事
昔話「金太郎」のモデルといわれる平安時代の武将坂田金時の没後千年祭神事が8日、最期の地とされる勝央町平の栗柄神社で、住民ら約60人が参列して営まれた。
神事は、同神社を守ってきた平地区の住民によって営まれ、地区住民のほか、金時の生誕地とされる静岡県小山町から込山正秀町長らが参列し、玉串を奉納した。神事の世話役を務めた平区長の植月徹さん(72)は「先人が守ってきたものを、これからも後世に伝えていきたい」と話し、込山町長も「金時が縁で友好縁組を結んでいる勝央町とこれからも交流を続けていきたい」と話した。
勝央町などによると、金時は、平安時代中期に生まれ、源頼光に見出されて家来になり、渡辺綱、碓氷貞光、卜部季武とともに頼光の四天王といわれた。九州に討伐に向かう途中、勝央町に滞在したが重い熱病にかかって亡くなり、栗柄神社に葬られたと伝えられる。死亡年については諸説があるが、同地区では寛弘7年(1010年)12月に亡くなったとの言い伝えがある。
神事は、勝央町で8、9の両日開催されている「金時祭」が30回目となるのに合わせ行った。金時祭は9日、勝央文化ホール一帯で特産品やB級グルメを販売するほか、特設ステージでは、勝央金時太鼓保存会による和太鼓の演奏や津山のご当地アイドル「SakuLove(さくらぶ)」のステージなどがある。
「読売新聞 YOMIURI ONLINE」 勝央・栗柄神社で神事(2011/10/09)
このようなイベントがあるたびに思うんですが、「このブログで紹介したいのに取材に行く時間が無いっ」。
特にその土地その土地の、他の地域では観られない個性的な田舎祭りなど、観に行ってきてここで紹介したいと想いつつもナカナカ実現出来ずにいます。
できるだけ旨く時間調整をして紹介できるよう頑張りたいとは考えていますので、あまり期待しない程度に気長にお待ちください(苦笑)。
「栗柄神社」
岡山県勝田郡勝央町平 【地図】
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