岡山県の地名アレコレ【備前市】
備前市の読みづらい地名、ちょっと変わった地名、ちょっと紛らわしい地名などを紹介しましょう。
備前市は平成17年3月に隣接する吉永町と日生町と合併、備前市となった吉永町と日生町の地名には頭に旧町名が残されて、備前市“××町○○”となっています。
備前市は平成17年3月に隣接する吉永町と日生町と合併、備前市となった吉永町と日生町の地名には頭に旧町名が残されて、備前市“××町○○”となっています。
【読みづらい地名】
麻宇那(あそうな)この読みを教えてもらったら「あ、そうなん?」と返してしまいそう
香登西(かがとにし) 知らないでこの読みを一発であてられることはまずないのでは?
香登本(かがともと)“ほん”ではなく、“もと”です
久々井(くぐい)知ってると普通に読めるのですが、そうでないと案外読めないかもしれませんね
蕃山(しげやま)“ばんざん”“はんやま”ではありません
閑谷(しずたに)“特別史跡旧閑谷学校”で知られているとは思いますが
日生町寒河(ひなせちょうそうご)“さむかわ”や“そうかわ”ではありません
穂浪(ほなみ)読みはともかく、漢字で書く場合に“穂波”と間違えないように
八木山(やきやま)“やぎやま”と濁りません
吉永町神根本(よしながちょうこうねほん)“こうねもと”と間違われることがあります
吉永町高田(よしながちょうたかた)“たかだ”と濁りません
吉永町多麻(よしながちょうたま)知ってしまえばなんてことないんですがね
【伊部という地名の由来】
備前市にある「伊部(いんべ)」。
備前焼の町として全国的に知られていることと想いますが、このちょっと変わった地名の由来ってなんでしょうか?
“いんべ”の語源は“忌部(いんべ)”で、氏族的職業集団として全国的に勢力を誇った氏族「忌部氏」からきています。
備前市伊部周辺は古くから岡山県を代表する備前焼の産地です。この地域では古来から焼き物職人が多く、忌部氏とかかわる豪族が“焼き物の町”として成立する事に関与していたと推測されています。
「伊部」の南隣に「浦伊部(うらいんべ)」があります。音で聴くと「裏伊部」みたいでなんだか隠し里のような雰囲気を感じません?
この場合の“浦”とは海辺や浜を意味するもので、“海近くの伊部地域”ということですね。
【日生という地名の由来】
地名の由来ネタをもうひとつ。
日生(ひなせ)は元々「星村」と呼ばれていたそうです。
ところがその頃、村内で何度も大火事があって「これでは困る」ということで村の名前を変えることになり、「星村」の“星”を日と生に分割して「日生」としたとのことですが、何時頃から「日生」になったのかなどの詳しいことは不明なようです。
当時、“日=ひ”+“生す=なす”=“ひなし”と呼ばれていましたが、時の経過とともに“ひなせ”と変化したようです。現在も高齢の方の中には“ひなし”と言われる方がおられるようですね。
麻宇那(あそうな)この読みを教えてもらったら「あ、そうなん?」と返してしまいそう
香登西(かがとにし) 知らないでこの読みを一発であてられることはまずないのでは?
香登本(かがともと)“ほん”ではなく、“もと”です
久々井(くぐい)知ってると普通に読めるのですが、そうでないと案外読めないかもしれませんね
蕃山(しげやま)“ばんざん”“はんやま”ではありません
閑谷(しずたに)“特別史跡旧閑谷学校”で知られているとは思いますが
日生町寒河(ひなせちょうそうご)“さむかわ”や“そうかわ”ではありません
穂浪(ほなみ)読みはともかく、漢字で書く場合に“穂波”と間違えないように
八木山(やきやま)“やぎやま”と濁りません
吉永町神根本(よしながちょうこうねほん)“こうねもと”と間違われることがあります
吉永町高田(よしながちょうたかた)“たかだ”と濁りません
吉永町多麻(よしながちょうたま)知ってしまえばなんてことないんですがね
【伊部という地名の由来】
備前市にある「伊部(いんべ)」。
備前焼の町として全国的に知られていることと想いますが、このちょっと変わった地名の由来ってなんでしょうか?
“いんべ”の語源は“忌部(いんべ)”で、氏族的職業集団として全国的に勢力を誇った氏族「忌部氏」からきています。
備前市伊部周辺は古くから岡山県を代表する備前焼の産地です。この地域では古来から焼き物職人が多く、忌部氏とかかわる豪族が“焼き物の町”として成立する事に関与していたと推測されています。
「伊部」の南隣に「浦伊部(うらいんべ)」があります。音で聴くと「裏伊部」みたいでなんだか隠し里のような雰囲気を感じません?
この場合の“浦”とは海辺や浜を意味するもので、“海近くの伊部地域”ということですね。
【日生という地名の由来】
地名の由来ネタをもうひとつ。
日生(ひなせ)は元々「星村」と呼ばれていたそうです。
ところがその頃、村内で何度も大火事があって「これでは困る」ということで村の名前を変えることになり、「星村」の“星”を日と生に分割して「日生」としたとのことですが、何時頃から「日生」になったのかなどの詳しいことは不明なようです。
当時、“日=ひ”+“生す=なす”=“ひなし”と呼ばれていましたが、時の経過とともに“ひなせ”と変化したようです。現在も高齢の方の中には“ひなし”と言われる方がおられるようですね。
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かやぶき屋根の住居がまだ残る、山のてっぺんの集落のイメージしかありません
どんな歴史のある集落か教えてくださいお願いします!
これは『八塔寺ふるさと村』のことですね。
正しくは、備前市吉永町多麻ではなく、隣の備前市吉永町加賀美です。
> どんな歴史のある集落か教えてくださいお願いします!
歴史といいますと、1300年あまりの歴史がある山岳仏教の地で、当時は十三重の塔・七堂伽藍・七十二僧坊がある山上仏教のメッカとして「西の高野山」と呼ばれていたそうですが、幾多の戦火にまみれて衰退しました。
現在の『八塔寺ふるさと村』は、昭和49年に岡山県の“ふるさと村整備事業”第1号として整備されたものです。
この事業は岡山県内の農村景観を保存・復元をして次世代に残そうというもので、茅葺屋根の古民家や水車が残されているんですね。
この辺は『八塔寺ふるさと村』でネット検索すれば詳しい情報が出てくると思います。
この古き農村の風景は、映画では『黒い雨』『八墓村』、TVドラマでは『火垂るの墓』『点と線』『八墓村』などでロケが行われています。
このブログでも遠くないうちに紹介したいと考えています。気長にお待ちくださいね。
八つ墓村のロケ地だったとは驚きです
実をいいますと私は宮崎の大峠と書いておおとうげというものなんですが、私のご先祖さまが、吉永町多麻の出身らしく、前回に訪れた時は子孫の方と合えることができました。同じ名字でおおたおさんと呼ぶらしく親しみを感じました。
戦国時代の歴史があったと思うと感慨深いです。
これからもブログを覗かせてもらいます!
これからも微力ながらも皆様のお役にたつことができるブログになるようガンバリますので宜しくお願い致します。