さら山時代祭 フォトレポート

「美作や 久米のさら山さらさらに 我が名は立てじ 萬代(よろずよ)までに」
この歌は昔から岡山県津山市の佐良山エリアで詠われてきたもので、清和天皇の大嘗祭の際にお米と共に朝廷に献上され、「古今集」にこの歌が載せられたことから都の皇族・公家・歌人らの目にとまり、「さら山」はあこがれの地となったのだそうです。
後鳥羽上皇や後醍醐天皇、その他多くの歌人がこの「さら山」を訪れて歌を残しています。
この佐良山エリアは規模こそ大きくは無いものの三百を超える古墳があると言われ、土器も多く出土することからも判るように、古くから人々が暮らしてきた歴史あるところ。
この津山市の片田舎・佐良山の歴史を後世に引き継ぎ、住民達の誇りとし、ひいては津山市の財産として守り育ててゆくことを目的に毎年開かれている「さら山時代祭」が今年も11月13日(日)に催されましたのでレポートしたいと思います。





「メイン会場」
この祭りはひとつの会場で行われるのではなく、後醍醐天皇が隠岐に流れれる際に通った“旧出雲街道”の一部区間約3km(津山市種~皿)、その道中の要所要所にサテライト会場が設けられています。来場者はスタンプラリー方式で各会場を歩いてまわり、楽しみながら歴史を感じ取ろうというものです。
メイン会場では各種屋台や射的ゲーム、農産物の販売、高齢者の健康診断などで賑わっていました。
ステージでは佐良山エリアの子供たちが通う津山西中学校の吹奏楽部の皆さんによる演奏が行われていましたよ。

メイン会場すぐそばのテントサイトは婦人会による飲食ブースです。


メイン会場から約400mの「矢場」。
ここでは弓矢での的当てが愉しめました。「皿地区」の会場はここまで。


メイン会場から約850m、ここから「種地区」になります。
「ヤマメの塩焼き」「牛串」などが焼かれていていい匂い♪
この会場では輪切りにされた木にドングリ・苔などと“トトロもどきの小さなマスコット”を貼りつけてオブジェを工作するスペースが人気でした。


その隣の会場にはたくさんの風船が。
こちらではフォークギターによるコンサートが開かれていましたよ。
そこから少し離れたポンプ場そばの「屋台村」。
お昼前ということもあって大勢の人で賑わっていました。


「後醍醐天皇御駐輦跡」の前。
こちらでは「いのしし汁」がふるまわれていました。
後醍醐天皇御駐輦跡については後ほど説明します。

種地区の公会堂前。
後醍醐天皇とその御一行に扮した「時代行列」の皆さんがスタンバっていました。
この衣装って本格的で結構お金掛かってますよねぇ。スゴいっ!



皿地区にあるメイン会場から約3km、種地区の「洗顔清水」会場です。
ここには年中枯れることなく清水が湧き出ていて、後醍醐天皇が通りがかった際に顔を洗ったということから「洗顔清水」と呼ばれています。
この会場には茶席が設けられていて、お茶と和菓子がふるまわれていました。
隣のテントではつきたてのきび餅が販売されていました。

さら山時代祭の目玉、「時代行列」。
後醍醐天皇一行が通った道のりを練り歩きます。護衛の鎧武者が勇ましい。生で鎧武者を見る機会なんて滅多にないんでちょっとワクワクッ!

「後醍醐天皇御駐輦跡」にて歌を詠む後醍醐天皇。
後醍醐天皇が隠岐に流される際にこの地で詠まれた歌、
「聞きおきし 久米のさら山越えゆかん 道とはかねて 思いやはせし」が刻まれた石碑が立てられています。
歌を詠み終えた後、石碑に一例をして一行はメイン会場を目指します。
後醍醐天皇はこの佐良山エリアを通られた後、津山市院庄にある作楽神社に立ち寄られました。
後醍醐天皇の忠臣児島高徳は手勢を率いて護送中の天皇を解放しようと企ててこの地に赴くも想いは遂げられず、作楽神社の一本の桜の木に無念を記す句を刻んだ逸話は周知の事と思います。
さら山時代祭は今年で14回目。興味のある方は来年11月の第15回までお待ちください。キリのいい回数なのでいつもより盛大な祭りになるかも?!
メイン会場:岡山県津山市皿 【地図】
後醍醐天皇御駐輦跡:岡山県津山市種 【地図】
洗顔清水:岡山県津山市種 【地図】
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