作楽神社のカキツバタとアヤメ

津山市の院庄インターから程近い所にある「作楽神社(さくらじんじゃ)」。
鎌倉時代の末期、後醍醐天皇が隠岐へと遠流される際に“出雲街道”を通ったのですが、その道中に宿泊した「院庄館(いんのしょうのやかた)」の跡地に建てられています。
さて、隠岐へと遠流される後醍醐天皇の忠臣“児島高徳(こじまたかのり)”は、天皇を奪還し救出すべく、播磨と備前の国境・船坂山にて五百騎の天皇護送団に対して一族郎党二百余騎で強襲を画策するも、二度も奪還に失敗し、高徳の軍勢はチリジリになります。
しかし高徳はまだ諦めきれず、夜になって院庄の天皇が宿泊している館へと浸入。しかしあまりにも厳しすぎる警備の前に天皇奪還を断念、傍らにあった桜の樹の幹に「天莫空勾践 時非無范蠡」という漢詩を彫り書いて立ち去ったそうです。
朝になってこの漢詩を見つけた警備の者達はまったく何が書かれているのかが理解できない中、後醍醐天皇のみが、「天は古代中国の越王・勾践に対するように、決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう」という意味を理解し、勇気づけられたのだそうです。
後に漢詩の彫り書かれた桜の樹は“忠義桜”と呼ばれるようになり、昭和初期にはこのエピソードを元にした「忠義桜」というタイトルの歌謡曲も作られ全国的に知られるようになったんだそうです。

ちょっと前置きが長くなってしまいました(汗)。
今、作楽神社の“カキツバタ”と“アヤメ”が見頃と聞きましたのでカメラ片手に行ってきました。


神社を囲む堀に掛かる橋を渡って参道を少し進むと左手に社務所があります。
社務所を過ぎてすぐ、右手にあるのが神楽殿です。

「作楽神社拝殿」。
かなり立派で御利益ありそうな雰囲気が漂っています。


拝殿のそばにある「さざれ石」です。“君が代”に出てくるのでその名称は誰でも知っているでしょうが、実際にどういったものかはご存知ない方も多いでしょう。
後醍醐天皇が美作の国で詠んだ句が書かれていますが…達筆過ぎて読めません(苦笑)。この横に説明が書かれたものがありますのでソチラを読めば大丈夫ですが。


「十字の詩跡」。
児島高徳が桜の幹を削ってその部分に前述の漢詩を刻んだものを“十字の詩”といい、その桜の樹がここにあったのだそうです。

神楽殿の裏には広々としたスペースがあり、院庄館の井戸跡があったりしますが、ここの主役はきれいに咲いた花。アヤメが鮮やかに咲き誇っています。

作楽神社を取り囲む堀に咲くカキツバタも見事。どちらもアヤメ科の植物なので良く似た花を咲かせますが、アヤメは乾いた土で育つのに対してカキツバタは水中や湿地を好みます。アヤメは外側の花びらに黄色い模様があるんですが、カキツバタには無いのが違いですね。
「いずれがアヤメかカキツバタ」という慣用句があります。“どちらも素晴らしくて優劣をつけられない”という意味ですが、単に見分けがつきにくい場合にも使うようですね。
「作楽神社」
岡山県津山市神戸433 【地図】
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