岡山県の地名アレコレ【浅口市】
浅口市(あさくちし)の読みづらい地名、読み間違いそうな地名などを紹介しましょう。
浅口市は平成18年(2006年)の平成の大合併時に浅口郡の「鴨方町(かもがたちょう)」「金光町(こんこうちょう)」「寄島町(よりしまちょう)」が新設合併してできた市です。
当時、浅口郡には浅口市になった三町の他に「里庄町(さとしょうちょう)」「船穂町(ふなほちょう)」がありましたが、「船穂町」は倉敷市に編入合併したため、現在は「里庄町」が浅口郡唯一の町となっています。
浅口市は正しくは“あさくちし”と読むのですが、地元の人でも“あさぐちし”と濁って発音することもよくあります。
合併後の住所は、“浅口郡○○”の“郡”を“市”に置き換えるだけで合併前と同じ感覚で使用できるようになっています。また、そのために従来の字の頭に旧町名が付けられています。
浅口市は平成18年(2006年)の平成の大合併時に浅口郡の「鴨方町(かもがたちょう)」「金光町(こんこうちょう)」「寄島町(よりしまちょう)」が新設合併してできた市です。
当時、浅口郡には浅口市になった三町の他に「里庄町(さとしょうちょう)」「船穂町(ふなほちょう)」がありましたが、「船穂町」は倉敷市に編入合併したため、現在は「里庄町」が浅口郡唯一の町となっています。
浅口市は正しくは“あさくちし”と読むのですが、地元の人でも“あさぐちし”と濁って発音することもよくあります。
合併後の住所は、“浅口郡○○”の“郡”を“市”に置き換えるだけで合併前と同じ感覚で使用できるようになっています。また、そのために従来の字の頭に旧町名が付けられています。
読みづらい・間違いやすい地名
鴨方町地頭上(かもがたちょうじとうかみ) 地頭ってどういう由来でつけられたんでしょう?
鴨方町本庄( 〃 ほんじょ) “ほんじょう”と伸ばしません
金光町占見(こんこうちょううらみ) “恨み”ではありませんよっ
金光町占見新田( 〃 うらみしんでん) “にった”と読まないでくださいね
金光町上竹( 〃 かみだけ) “だけ”と濁ります。同じように濁る“下竹”もありますよ
『寄島』の由来は?
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后、神功皇后(じんぐうこうごう)は新羅遠征に赴いた帰途に、備中国(現在の岡山県の西部)の沖合いに来た際に、島々が浮かぶ素晴らしい景色の場所があったため、ここにお立ち寄りになられました。
このことから、皇后が“立ち寄られた”この小島を「寄島」と呼ぶようになったと言われています。
京都六条院ゆかりの地名
旧鴨方町エリアにある「六条院」の付く地名、「鴨方町六条院中(かもがたちょうろくじょういんなか)」「鴨方町六条院西( 〃 にし)」「鴨方町六条院東( 〃 ひがし)」。
これは平清盛の父である平忠盛が、この地を白河法皇(しらかわほうおう)ゆかりの京都の六条院に寄進したのが由来なのだそうです。
金光教
旧浅口郡金光町の“金光”とは、この地に“金光教本部”があることから来ています。
金光教とは、安政6年(1859年)に備中国浅口郡大谷村にて赤沢文治(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教で、黒住教、天理教に並ぶ幕末三大新宗教の一つです。
鴨方町地頭上(かもがたちょうじとうかみ) 地頭ってどういう由来でつけられたんでしょう?
鴨方町本庄( 〃 ほんじょ) “ほんじょう”と伸ばしません
金光町占見(こんこうちょううらみ) “恨み”ではありませんよっ
金光町占見新田( 〃 うらみしんでん) “にった”と読まないでくださいね
金光町上竹( 〃 かみだけ) “だけ”と濁ります。同じように濁る“下竹”もありますよ
『寄島』の由来は?
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の后、神功皇后(じんぐうこうごう)は新羅遠征に赴いた帰途に、備中国(現在の岡山県の西部)の沖合いに来た際に、島々が浮かぶ素晴らしい景色の場所があったため、ここにお立ち寄りになられました。
このことから、皇后が“立ち寄られた”この小島を「寄島」と呼ぶようになったと言われています。
京都六条院ゆかりの地名
旧鴨方町エリアにある「六条院」の付く地名、「鴨方町六条院中(かもがたちょうろくじょういんなか)」「鴨方町六条院西( 〃 にし)」「鴨方町六条院東( 〃 ひがし)」。
これは平清盛の父である平忠盛が、この地を白河法皇(しらかわほうおう)ゆかりの京都の六条院に寄進したのが由来なのだそうです。
金光教
旧浅口郡金光町の“金光”とは、この地に“金光教本部”があることから来ています。
金光教とは、安政6年(1859年)に備中国浅口郡大谷村にて赤沢文治(川手文治郎)、後の金光大神(こんこうだいじん)が開いた創唱宗教で、黒住教、天理教に並ぶ幕末三大新宗教の一つです。
スポンサーサイト
コメント: