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三穂太郎伝説

岡山県北の作州地域に伝わる巨人伝説『三穂太郎(さんぶたろう)』。

菅原道真の子孫、菅原知頼が美作守として1078年に京都から下向し、その子孫である中世鎌倉時代末期に実在した菅原三穂太郎満佐(すがわらさんぶたろうみつすけ)がこの伝説のモデルです。
この三穂太郎満佐は、美作地方東部に勢力を張っていた地方武士団:美作菅家党の祖で、那岐山に城を構えていたそうです。

この伝説は実在のモデルがいることから、史実をベースにファンタジックなアレンジがされた伝承なのかと調べてみたのですが、どうにもこうにも手がかりが少なくて埒が明きませんでした(苦笑)。
三穂太郎の那岐山を越える大男(那岐山の標高は1225m)というとんでもない大きさは、美作菅家党の勢力の強さを表しているのだとか、いろいろ情報が出てくると面白かったのですが、残念です。

ひとつ、伝説にある三穂太郎ではなくて実在の人物とされている三穂太郎満佐は空を飛べたという記述が複数の古い記録から見つかっているのは興味深いですね。
本当に飛べたのかどうかは別にして、三穂太郎の名前の由来となった“たった三歩で奈義から京都まで行った”というお話となんらかの関係がありそうな気もします。

それでは、三穂太郎の伝説のあらすじをどうぞ。

菅原道真の子孫を名乗る男が那岐山の麓にある菩提寺で美しい女と出会い、「太郎丸」という名の男児をもうけます。

女は太郎丸に乳をやるときだけ、なぜか産屋(うぶや)にこもり、けっして覗かぬように男に約束させました。
約束をしたものの、疑問に思った男はとうとう我慢できず、産屋の様子をこっそり覗いてしまいます。

そこで男が見たものは、大蛇がとぐろを巻いて太郎丸に乳をあたえる姿。なんと女は蛇の精霊だったのです。
驚いた男が思わず声を上げ、それに気付いた大蛇は太郎丸と男を残し山へ姿を隠してしまいます。

男はまだ幼い太郎丸を抱え、女=大蛇を探すため山の中をさまよい歩きひとつの淵に辿り着き、そのほとりで大蛇を見つけます。

男は大蛇に家に戻るよう説得するも叶わず、大蛇は太郎丸が泣いたらこれをしゃぶられるようにと、五色に輝く玉を男に渡して淵の奥深く姿を消しました。

母親の乳代わりに玉をしゃぶって育った太郎丸は、その霊力によって那岐山をも超えるほどの大男に育ちます。
仙術を操る太郎丸は京の都まで三歩で行き来し、禁裏(きんり:天皇が居住している処)の護衛を奈義の地に居ながら勤めていたので『三歩太郎』と呼ばれるようになりました。

三穂太郎の大きさを表すエピソードに、那岐山頂に座って瀬戸内海や因幡の賀露の浜で足を洗ったとか、那岐山と八頭寺山をひとまたぎした時にキ●タマがこすれて出来たと言われる淵があったりします。

地域きっての勢力者となった三穂太郎は豊田姫か作用姫のどちらかと結婚することになり、豊田姫を選んだのですが、嫉妬に狂った佐用姫が三穂太郎の草履に針を仕込みます。

大蛇の精霊の子供である三穂太郎は金物に弱く、針の傷が元で息を引き取ります。

大地に倒れた三穂太郎の巨体は砕け散り、頭が関本の里、腕と肩(かいな)は因幡の土師、右手は梶並の里へ、血は川となり、肉は黒ボコという肥沃な黒土に、息吹は北大風を呼びました。
那岐山から吹き下ろす大風を地元の人々は「さんぶたろうが吹く」と言って恐れ敬ったそうです。

奈義町をはじめとしたこの地には、この伝説に関わる神社や地名、その他にも地形や岩などが多数存在しています。

奈義町関本の「三穂神社」は「こうべさま」とも呼ばれ、三穂太郎の頭を奉っていて、頭の神様=学業の神様として崇められていますし、奈義町西原の「杉神社」は「荒関様(あらせきさま)」と呼ばれてアラ(胴体)を奉っています。
なぜか、那岐山を越えて向こう側の鳥取県八頭郡智頭町にも、三穂太郎のかいなを奉った「河野神社」(別名:にゃくいちさま)があり、肩や手の病気にご利益があると言い伝えられています。

「蛇淵の滝」は母親の大蛇が身を隠した淵ですし、八(鉢)巻山は正体を知られた大蛇が姿を消す前に、約束を破った男への怒りの想いを山を八巻きすることで表したことからそう呼ばれるようになったと言われています。

興味のある方は、この伝説ゆかりの地を訪ね歩いてみるのも面白いかもしれませんね。

参考:(奈義町立図書館>電子図書館) 大いなる巨人の伝説 第1部


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岡山で暮らす | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/11/17 23:55
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