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重要文化財が全焼

金山寺 航空写真とても残念なニュースが飛び込んできました。

岡山市北区金山寺の地名の由来にもなっている、国指定重要文化財『金山寺(きんざんじ・かなやまじ)』の本堂が火災により全焼してしまったそうです。
本堂近くの母屋で一人暮らしをしている松原宏澄(まつばらこうちょう)住職は実家に帰っていたため不在で、無事だったのは不幸中の幸いです。

国重文・金山寺本堂を全焼 岡山

 24日午後7時半ごろ、岡山市北区金山寺の金山寺=松原宏澄住職(76)=から出火。国指定重要文化財の木造平屋の本堂約165平方メートルと、木造平屋の倉庫約13平方メートルを全焼し、午後10時すぎに鎮火した。

 岡山市消防局によると、付近住民から本堂が燃えていると119番があった。岡山西署は本堂が火元とみて、25日朝から同消防局と合同で現場検証し、出火原因などを調べる。

 同署などによると、松原住職は普段、本堂近くの母屋で一人暮らし。出火当時は赤磐市の実家に帰り不在だったという。

 同市消防局からポンプ車など14台が出動。消火栓が本堂から約150メートル離れた仁王門付近に3カ所しかなかったため消火が難航した。金山寺は本堂の南側約50メートルに護摩堂(県指定重要文化財)、北側約150メートルに三重塔(同)などがあるが、被害はない模様。

 金山寺は、室町時代末期の成立とされる「金山寺縁起」によると、749年に孝謙天皇の勅令で報恩大師が創建。本堂は岡山城主宇喜多直家によって16世紀後半に再建したとされ、桃山時代初期の建築様式を伝える貴重な建築として国重要文化財に指定されている。


 岡山県を代表する古刹(こさつ)として知られ、岡山市出身で日本臨済宗の宗祖栄西(1141?1215年)も一時修行したと伝わる。毎年2月にはまわし姿の男たちが宝木(しんぎ)を争奪する会陽が行われる。

 金山寺はJR岡山駅から北東に約8キロの山中にある。

山陽新聞 国重文・金山寺本堂を全焼 岡山(2012/12/24)

今回、全焼してしまった『金山寺』は天台宗の寺院で山号は「銘金山」。
奈良時代・天平勝宝元年(749年)に開創し、後に報恩開創の備前四十八箇寺の根本道場となったのだそうです。

戦国時代の文亀元年(1501年)、金川城主の松田氏はこの寺に対して、松田氏が信奉する日蓮宗へ改宗するよう迫ったものの寺は応じず、松田氏は寺院を焼き払ってしまいました。
その後、天正3年(1575年)に、松田氏を打倒した宇喜多直家の援助を受けて本堂と護摩堂を再建し、この時建造された本堂は桃山時代初期の建築様式を現代に伝える貴重な建築物として国の重要文化財に指定されています。

また、この金山時に保管されている『金山寺文書 付金山観音寺縁起』は、平安から室町時代にかけての古文書52通と縁起書1巻からなっており、これも重要文化財に指定されています。


まだ出火の原因はハッキリとはしていませんが、放火の可能性もある一方で「本堂では普段から、ろうそくの火を24時間絶やさずともしていた」との住職の話しがありますので、何らかの拍子にろうそくの火が本堂に燃え移った可能性も無いわけではありません。

本当の原因も気になるところですが、今回の火災で本堂が全焼してしまったのは、当時無人だったためにかなり火の手が大きくなってから付近の住民がようやく気付いた事、消火栓が本堂から約150mも離れたところに三つあるだけだったことです。

“24時間ろうそくの火を絶やさない”という住職のお気持ちもよくわかるのですが、不在の時の“もしも”の時のための対策を何かしておくべきだったでしょうし、もしもの時のために設置してあるはずの消火栓の場所と数も適切では無かったようです。
今更言ったところで失われたものは元に戻ってくれるわけではありませんが、もしもの時のための対策がもう少し違ったなら、出火したにしても違う結果になっていたのではと思わずには居られません。

他の文化財を持つ施設の火事対策も気になるところで、此度の事を教訓に火事対策を今一度見つめ直していただき、価値あるものがこれ以上失われないように最善の処置をお願いしたいものです。

金山寺
岡山県岡山市北区金山寺481 【地図】

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ニュース | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2012/12/24 23:54
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