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岡山の著名人:井戸平左衛門【歴史上の偉人】

本格芋焼酎「いも代官」ラベル 一宮酒造みなさんは、『いも代官・井戸平左衛門(いどへいざえもん)』という人物をご存知でしょうか?

“いも”という言葉から、“役立たず”“出来が悪い”とか“身なりがダサい”ということを連想されてしまいそうですが、この人物は自分の命と引き換えにしてまでも領民を飢えから救おうとした偉人なのです。

井戸平左衛門は、1672 年に江戸で生まれ、1731 年に“大森銀山”で有名な石見国(島根県)の大森代官に任命されました。この大森代官という役職は、大森以外にも「石見(島根県)」「備後(広島県)」「備中(岡山県)」と幅広く西日本の領地を統治する大変なもの。

「自分の治める国を豊かで暮らしいいところにしたい」と代官職を受けた平左衛門ですが、江戸から大森に到着するや、いきなり厳しい現実を目の当たりにします。

当時、徳川家康の「百姓は生かさず殺さず」言葉にあるように、農民たちは“飢え死にしないギリギリライン”まで年貢を取りたてられているという時代背景があります。
そのせいで農民たちが貧しい暮らしを強いられているというだけなら、平左衛門も想定の範囲内。
まずは領地の農民たちの状況を視察に出掛けた平左衛門は視察先の農民の言葉に驚かされます。

この時、異常なまでの日照り続きに加えて害虫の大量発生により、治めなければならない年貢米分程度の収穫量しかありませんでした。
そのため年貢を納めると食べるものが無くなり飢え死にするしかなく、年貢を減らしてもらえるよう懇願されたのです。

代官という役職は幕府から仰せつかっているものなので、自分の判断だけで年貢を減らしたりなどは許されるハズがありません。

そこで羽振りの良い商人達を集め、凶作が続く現実を話し聞かせて、農民を助ける心あるものは献金をするよう呼びかけ、集まったお金で米を買って農民に分け与えることでピンチを切り抜けることに成功しました。

これだけでも素晴らしい働きではありますが、『いも代官』と呼ばれるようになるには続きがあります。

直面している難題は解決出来ましたが、コレはとりあえずの一時凌ぎ。
米が凶作になるごとに同じことを繰り返すわけにはいかず、根本的な問題解決に頭を悩ませていました。

そんな折り、諸国を行脚している徳の高い僧侶が村に滞在していることを知った平左衛門は、農民の貧しい暮らしとそれを救う手立てが見つからないことを僧侶に打ち明けます。

「薩摩の国の唐芋(からいも)は、栽培が容易で収穫量が米よりも多く、米が不作の年でも飢え死にする農民がいない」と聞いた彼は早速行動に出ました。
※唐芋とは現在のサツマイモのことです。

薩摩から種芋を入手し、農民たちに分け与えて栽培させることにしたのですが、詳しい栽培方法を教えてもらうことが出来ておらず、それに加えて温暖な薩摩の作物を冬には霜が降りたり雪が降るところで栽培するのは困難を極め、種芋を腐らさせてしまう農家が続出してしまいます。

救いの主になると期待した唐芋栽培に苦心しているそんな時、西日本だけで2万人以上の人が餓死したと伝えられている“享保の大飢饉”がやってきました。
飢えによって次々と命を落とす農民のためにアレコレと手を尽くした平左衛門ですが、どうしても餓死を食い止めることができず、万策尽きた彼はある決意を固めるに至りました。

「代官所の蔵を開け、中の米を農民たちに分け与えよ。そして、今年の年貢のとりたては行わない旨の通知を出すように」

平左衛門がくだした命令に配下の役人達は驚き、せめて幕府からの許可が下りるのを待つよう説得したのですが、緊急を要する事態に幕府からの命を待っている場合ではないと判断した平左衛門の決心が揺らぐことはなく、すべての責任は自分一人で取ると役人たちに伝え、実行させたのです。

結果、農民達を飢餓から救うことが出来たのですが、無断で代官所の蔵の米を振る舞うなどという行為が幕府から許されるわけがありません。

代官の職を解任された平左衛門は、備中国笠岡(岡山県笠岡市)の陣屋にて謹慎することを命じられます。
折って正式な処分の通達があるはずでしたが、それを待つことなく平左衛門はこの世を去りました。
※一般的には病死とされていますが、話の流れから責任を取って切腹をしたと考える向きもあるようです。

失敗だったかと想われた飢饉対策の唐芋栽培ですが、平左衛門の死後に成功したものが一人現れ、その栽培方法は近隣の村々へ伝わって行きました。

平左衛門はその成功をその目で見ることは叶いませんでしたが、人々は彼の農民を救おうとした働きに感謝していて、大森代官の統治下である中国地方の各地に総数百とも言われる数の供養塔や顕彰碑を建て、『いも代官様』と呼び、今も語り継いでいるのです。
※平左衛門のお墓は、笠岡市の「曹洞宗威徳寺」にあり、墓前に立つ2基の石灯籠は笠岡と石見国大森の村人が寄進したものだそうです。


「おいも代官様」初披露 笠岡市制60周年記念で創作狂言

 笠岡市制施行60周年を記念して制作された創作狂言「おいも代官様」が10日、同市六番町の市民会館で初上演された。昨秋から稽古を重ねた市民11人が笑いあり、感動ありの舞台を披露した。

 物語は「おなら」をユーモアとして取り入れながら、飢饉(ききん)を救うサツマイモを笠岡に伝えた江戸時代の備中国笠岡代官・井戸平左衛門(1672~1733年)の功績を伝える内容。

 同所であった市生涯学習フェスティバルの中で発表、小学生や社会人ら11人が役者として登壇。美しい衣装に身を包んで、所作に気を付けながら約20分間堂々と演技した。

 伝統的なせりふ回しに交え、子どもたちがサツマイモの魅力を「カレーに入れてもうまい」と現代風に表現する場面もあり、終始観客の笑いを誘っていた。

 同狂言は、笠岡市が地元にちなんだ題材を募り、藤井琢三さん(72)=同市=の作品に決定。公募などで選ばれた市民は昨年10月から練習に励んでいた。

山陽新聞 「おいも代官様」初披露 笠岡市制60周年記念で創作狂言(2013/02/13)

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著名人 | コメント:(2) | トラックバック:(0) | 2013/02/14 23:59
コメント:
感動しました!!
士農工商とは名ばかりの扱いでした。

武士の中に一握りこのような方がおられる!!
橋下市長、、苦しい大阪市を救う為、独断で「消費税」据え置き~~と言ってくれませんかね!!

一年間なし!!・・・余計破綻します・・・

私的には「相続税」大阪のみ緩和・・金持ちが
大阪に移住、、これねらい目です!!
Re: 感動しました!!
壱ママさん、コメントありがとうございます。

> 武士の中に一握りこのような方がおられる!!
> 橋下市長、、苦しい大阪市を救う為、独断で(中略)
> 私的には「相続税」大阪のみ緩和・・金持ちが
> 大阪に移住、、これねらい目です!!
今の時代、なにか大胆な改革をしようとすると、決まってどこかからか反対勢力が現れて妨害しようとする。
否、日本という国は昔からそうだったかも?

橋下さんには、そういう障害物を乗り越えてでもやりぬく気概を感じますよね。
方向性を間違えないかぎり、将来素晴らしいコトを成し遂げてくれそうな、そんな期待を持たしてくれる方です。
現状、想うようにならないこともあるでしょうが、正しい方向性を見失わないよう、前に進んでいってほしいものですね。

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