岡山県の地名アレコレ【岡山市南区】
岡山市南区(おかやましみなみく)の読みづらい地名・読み間違いそうな地名を紹介しましょう。
区域の大半が江戸時代から昭和30年代にかけて造成された干拓地の南区。
この一帯は中国地方有数の穀倉地帯で、米・麦・千両ナス・レンコン・レタス・スイートピーなどの栽培が盛んな一方で、国道30号線沿いに軽工業系の工場が立地している“岡南工業地帯”が発達しています。
区名の「南区」は旧地域名は採用しないという方針の上で公募の上で決められたものです。
区域の大半が江戸時代から昭和30年代にかけて造成された干拓地の南区。
この一帯は中国地方有数の穀倉地帯で、米・麦・千両ナス・レンコン・レタス・スイートピーなどの栽培が盛んな一方で、国道30号線沿いに軽工業系の工場が立地している“岡南工業地帯”が発達しています。
区名の「南区」は旧地域名は採用しないという方針の上で公募の上で決められたものです。
読みづらい・間違いやすい地名
飽浦(あくら)あきうらあきうら…あくらっ!
大福(おおふく)“だいふく”じゃないです。残念(笑)
郡(こおり)岡山市“南区郡”って思い違いしないでくださいね
市場(しじょう)“いちば”ではありません
新保(しんぼ)同じ地名が余所にも複数ありますが、場所によって読みが違います
妹尾(せのお)先生が“いもお?”ってなって笑ったこと有ります
迫川(はざかわ)ちょっと読みに迷う?
万倍(まんばい)素直にそのまま読んでOK
岡山市南区には「福」がいっぱい
地名に福の字が付いているものは割とよく目にしますが、岡山市南区は本当に福の字がつく地名が多いです。
「大福」「新福(しんぷく)」「平福(ひらふく)」「福島(ふくしま)」「福田(ふくだ)」「福富中(ふくとみなか)」「福富西(ふくとみにし)」「福富東(ふくとみひがし)」「福成(ふくなり)」「福浜町(ふくはまちょう)」「福浜西町(ふくはまにしまち)」「福吉町(ふくよしちょう)」
71ある南区の地名のうちの12で、約16.9%ですね。
この“福”が何を意味するのかについては、単純に目で焚く縁起がいいからなのか、なにかしら深い由縁があるのかまでは、調査しきれませんでした。
米倉
この記事冒頭で、南区は中国地方有数の穀倉地帯と紹介したとおり、地名にも“田”が付くものが少なくありません。
そして「米倉(よねぐら)」という地名はその場所に大規模なお米の倉があったのかなと想像しがちですが、実際には似て異なる語源があるそうです。
米倉周辺エリアは開墾の歴史があるところ。
ここではかつてから農業が盛んで、米俵を運搬するところを見た藩主:池田忠雄が視察に来た際に、その地域が開墾が進んでいる事を説明したところ、『ここも自分の米倉になるんだなぁ』と、つぶたいたことからこの地名になったのだそうです。
妹尾地域
南区の中でも中心的な役割を果たす妹尾とその周辺の妹尾地域。
この“妹尾”は岡山市に合併される前は「妹尾村」「妹尾町」と呼ばれる独立した町でした。
妹尾という地名は人名(名字)がその由来で、備中湛井十二ヶ郷用水と呼ばれる用水を引いた人物:妹尾兼康(せのおかねやす)からきているんだそうで、この用水は現在も現役で利用されています。
飽浦(あくら)あきうらあきうら…あくらっ!
大福(おおふく)“だいふく”じゃないです。残念(笑)
郡(こおり)岡山市“南区郡”って思い違いしないでくださいね
市場(しじょう)“いちば”ではありません
新保(しんぼ)同じ地名が余所にも複数ありますが、場所によって読みが違います
妹尾(せのお)先生が“いもお?”ってなって笑ったこと有ります
迫川(はざかわ)ちょっと読みに迷う?
万倍(まんばい)素直にそのまま読んでOK
岡山市南区には「福」がいっぱい
地名に福の字が付いているものは割とよく目にしますが、岡山市南区は本当に福の字がつく地名が多いです。
「大福」「新福(しんぷく)」「平福(ひらふく)」「福島(ふくしま)」「福田(ふくだ)」「福富中(ふくとみなか)」「福富西(ふくとみにし)」「福富東(ふくとみひがし)」「福成(ふくなり)」「福浜町(ふくはまちょう)」「福浜西町(ふくはまにしまち)」「福吉町(ふくよしちょう)」
71ある南区の地名のうちの12で、約16.9%ですね。
この“福”が何を意味するのかについては、単純に目で焚く縁起がいいからなのか、なにかしら深い由縁があるのかまでは、調査しきれませんでした。
米倉
この記事冒頭で、南区は中国地方有数の穀倉地帯と紹介したとおり、地名にも“田”が付くものが少なくありません。
そして「米倉(よねぐら)」という地名はその場所に大規模なお米の倉があったのかなと想像しがちですが、実際には似て異なる語源があるそうです。
米倉周辺エリアは開墾の歴史があるところ。
ここではかつてから農業が盛んで、米俵を運搬するところを見た藩主:池田忠雄が視察に来た際に、その地域が開墾が進んでいる事を説明したところ、『ここも自分の米倉になるんだなぁ』と、つぶたいたことからこの地名になったのだそうです。
妹尾地域
南区の中でも中心的な役割を果たす妹尾とその周辺の妹尾地域。
この“妹尾”は岡山市に合併される前は「妹尾村」「妹尾町」と呼ばれる独立した町でした。
妹尾という地名は人名(名字)がその由来で、備中湛井十二ヶ郷用水と呼ばれる用水を引いた人物:妹尾兼康(せのおかねやす)からきているんだそうで、この用水は現在も現役で利用されています。
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改めて調べてみましたが、やはりネット上では“シンボウ”あるいは“シンポウ”となっておりますね(苦笑)。
ただ、地元の方が“シンボ”と言われているという事ですのでソレが正しい読みなのですね。
「新保の人」さんのご意見に合わせて記事を訂正致します。