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一揆の映画プロジェクト

享保11年(1726年)の秋から翌年にかけて、津山藩の過酷な圧政に堪えかねた藩全域の農民によって繰り広げられた一揆を「山中一揆(さんちゅういっき)」と言います。
※“山中”とは現在の真庭市にあたります。

初代津山藩主松平宣富(まつだいらのぶとみ)の死去により、まだ6歳だった長男の浅五郎(あさごろう)が二代目藩主として家督を継ぐも、当時の津山藩の財政は厳しかった上に自然災害によって餓死するものが続出するような状態でした。

津山藩は幕府指導によっての藩財政の改革として、家臣の俸禄支給の延期・削減や農民の年貢負担を強化するなど財政の再建を行いました。
更に、当時の農民は裏作の麦によってかろうじて命を繋いでいるような厳しい状況だったのですが、そこに目をつけて年貢を4%増し+例年よりも早い時期に完納しなければ麦播きを一切禁止するという命をくだし、手厳しく取り立てを強行し、予定の86%を納めさせることに成功します。

ところが11歳となった浅五郎が重病を患い死亡。
後継ぎがいない浅五郎の死去により、本来ならば御家断絶・改易となるはずだったのですが、家系が考慮されて緊急措置として従弟の又三郎を後継ぎとすることが認められて藩の存続は出来ることになります。
しかし末期養子(まつごようし)であるため罰則として藩の石高は10万石から5万石に半減されることになりました。

江戸からそのことが伝えられた津山藩は、藩の支配からはずされる領地は「真島」「大庭」の両郡と判断、領地を取り上げられることで納めさせてる年貢米まで持って行かれないよう、事前に米倉から米を運び出そうとします。
しかし、その年貢米は幕府に納めなければならないので、農民はこれを持っていかぬよう求めて了解を得てその場は収まりました。
…ところが藩は翌日早朝、その約束を破ってヒッソリと船で運びだしてしまったのです。
それを知った農民たちは怒り、3000~4000人の大一揆に発展。
最終的に武力によって一揆は鎮圧され、51名もの農民が処刑されることになりました。

少し長くなりましたが、これが「山中一揆」のアラマシです。
この一揆を題材とした映画を『ひかりのおと』で知られる真庭市在住の映画監督・山崎樹一郎(やまさきじゅいちろう)さんが制作するプロジェクトが始動、制作発表が1月26日に行われました。

映画のタイトルは『「新しき民(たみ)』。映画では一揆に翻弄されながら生きる青年を描くとのことです。
予定では2月5日にクランクイン、真庭市・高梁市・井原市などで撮影し、7月の完成を目指しているそうです。

ところで前作『ひかりのおと』もそうなのですが、山崎監督のこの作品は特定の配給会社を通さず自主上映・自主配給がされる自主製作映画=インディーズ作品なので、制作資金やスタッフの数にも限りがあります。

そこで映画制作プロジェクトでは様々な形でのサポートをしてくれる映画サポーターを募集中です。
・古民家に手を加えて当時の農家の家を再現したセットを作る大道具さん
・古着を集めたり継ぎはぎして衣装を製作する衣装担当さん
・ロケ地にふさわしい場所を見つけて写真を撮るロケハン
・スタッフやキャストの食べる炊き出しやお弁当を用意する方
・大群衆シーンにエキストラで出演してくれる方

制作費用の資金への支援となる寄付金(一口10,000円)や、協賛してくれる個人・企業・団体も募集中。
映画プロジェクトの応援グッズとしてタオルやTシャツも販売されていて、これらの売り上げはすべて映画製作・上映の資金として活用されるそうです。

興味のある方は下記リンクからプロジェクトの公式サイトへ!何らかの協力をすればあなたの名前が映画のエンドクレジットに流れるかもしれませんよ。

「一揆の映画プロジェクト」

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ニュース | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/01/26 23:52
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