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岡山県の温羅伝説

2月3日は節分ですね。節分と言えば「鬼は外、福は内」の豆撒きということで、今回は岡山県の鬼=温羅(うら)について。

温羅というのは、現在の総社市にある瀬戸内海をも見渡すことのできる鬼城山(きのじょうさん)に砦を築き暮らしていた百済(くだら)の王子と名乗るその一族のことをいいます。

鬼城山は、かつて鬼が済んでいた処とされる山という伝承があり、山中に石垣などの遺構が存在する事は知られていましたが、ただそれだけで温羅=鬼が本当にここに住んでいたというものではありませんでした。
ところが山火事によって山を覆っていた木々が無くなって城壁の基礎となる列石を発見。古代山城だと認識され、1986年(昭和61年)には国の史跡に指定されました。


鬼ノ城の石垣
※写真提供:岡山県

「鬼ノ城(きのじょう)」と呼ばれる全周2.8kmの城壁をもつこの朝鮮式山城は、石垣や土塁など旧来の姿で残っている部分が多く、総社市教育委員会が2001年(平成13年)より史跡整備を大々的な復興作業中でかなり完成された状態を見ることが出来ます。

この古代山城は唐・新羅(とう・しらぎ)の連合軍が本土に侵攻するのではないかと危機感を抱いた大和朝廷が、西日本各地に築かせた古代山城のひとつであるという説がありますが、この鬼ノ城は日本書紀などの当時の文献には一切登場しておらず、多くの謎に包まれています。
そのことから当時の権力者・大和朝廷とは別の勢力=この地に伝わる温羅伝説にあるように温羅が築いたものと考えている人は少なくありません。

この地に伝わる「温羅伝説」は以下のとおりです。

第十一代垂仁(すいにん)天皇のころ、吉備の国に異国の地から現れた温羅は、備中国新山(びっちゅうこくにいやま)に居城を築き、西国から都へ送る貢物や婦女子をしばしば略奪するなどの悪行を繰り返していました。
人々は温羅を“鬼神”、城を“鬼ノ城”と呼んで彼らを恐れていたそうです。

大和朝廷はそんな温羅の悪行をみかねて、温羅退治に武将を派遣するもことごとく返り討ちに合い、武勇に優れた五十狭斧彦命 (いさせりひこのみこと)が派遣されることになります。
激戦の末とうとう温羅は敗北し首をはねられ、五十狭斧彦命は吉備津彦命(きびつひこのみこと)と呼ばれるようになったという伝説です。

この伝説を元にいろいろと各地にある英雄譚的なお話のエピソードが加えられて桃太郎のお話になったと言われています。

桃太郎こと吉備津彦命=正義、鬼こと温羅=悪というわかりやすい構図のお話なのですが、一方で違った見方をする方もおられるようで、それを「新説・温羅伝説」としてご紹介してみますね。

吉備の国に城を構えた百済の王子こと温羅の一族は、当時の日本に無かった先進技術である製塩や製鉄技術をこの地にもたらし、地元の媛を娶り吉備の国の首領にまでなり、“吉備冠者”と呼ばれ民衆から親しまれていました。

政治的、軍事的力を増した吉備王国ですが、全国平定を目指していた大和朝廷にとっては煩わしい存在。
そこで大和朝廷は五十狭斧彦命こと後の吉備津彦命に吉備の国の温羅退治を命じ、それを成し遂げました。
そして勝者である大和朝廷に都合よく吉備津彦命を英雄に、温羅を悪=鬼とするお話を作り上げた…というものです。

「新説・温羅伝説」にはなるほどと思わせられる点も少なくありませんが、温羅が退治されるまで仲良くしていたと思われる地元の民達の間にまで、大和朝廷がねつ造したお話が語り継がれるものなのか?という疑問もありますね。

真実は歴史の闇の中。
あーだこーだと現在残されているものの中から推理するのも楽しいものですよね。

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岡山で暮らす | コメント:(0) | トラックバック:(0) | 2014/02/03 23:30
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